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横浜地方裁判所 昭和29年(行)12号 判決

原告 謝文森

被告 横浜入国管理事務所長

訴訟代理人 岡本拓 外二名

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の串立

1  原告は「被告が(当時の主任審査官山本紀綱)昭和二八年一二月一〇日付を以て原告に対してなした退去強制令書発布処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告は主文同旨の判決を、それぞれ求めた。

第二、請求原因

一、原告は中国人で昭和二五年本邦に居住する叔母謝最好を頼つて本邦に入国し、その後横浜入国管理事務所に自首したところ、同二七年一一月二〇日入国警備官より出入国管理令(以下令と略称)第二七条違反容疑で取調べを受け、同日横浜入国者収容所に収容され、同年一一月二一日入国審査官の審査を受けたところ、原告が外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)第一項第一号に該当すると認定されたので、原告は同月二二日令第四七条第三項の規定による口頭審理を特別審理官にしたが、同年一二月一八日特別審理官高橋福雄より、入国審査官の審査の認定は誤りないと判定された。そこで原告は同月二五日法務大臣に対し異議申立をしたが、翌二八年一一月二八日法務大臣より異議申立が理由ないと裁決され、同年一二月一〇日付を以て被告より退去強制令書の発布を受けた。

二、しかし、被告の右処分は次の理由により違法なものである。

1  実体上の理由

(イ) 原告は台湾に誰一人知人も居らず、しかも本邦で結婚した妻は病身であり、又原告が本邦に入国した理由は、原告の両親が太平洋戦争中、中国において、日本軍に協力したため戦後漢好として排斥され、それがため諸所を放浪した末止むなく本邦に入国したものであるから、被告はこれらの事情を考慮して原告に対し、退去強制令書を発布してはならないのに拘らず、これに一顧も与えず処分を行つたのは違法である、

(ロ) 仮りに、被告の右処分が令第四九条第五項の法務大臣の裁決があつた時、必ず行われなければならないものとすれば被告は上級官庁たる法務大臣の違法処分の瑕疵を承継したものであるから、被告の処分は違法である。即ち、令第四九条第一項による法務大臣に対する異議申立の事由は、令施行規則(以下規則と略称)第三五条第四号に「退去強制の甚しく不当なること」が明記されているから、法務大臣の異議申立に対する裁決は、法規裁量であり、原告の右(イ)に於て主張した事由は、まさに退去強制の甚しく不当なる場合に該当するもので、法務大臣としては、原告の右異議申立を理由あるものとして取扱わなければならないのに右異議申立を理由なしとして排斥した裁決は違法である。

2  形式上の理由

退去強制令書には令第五一条、及び法務省令に定められた事項を記載しなければならないが、本件令書の記載は次のように不十分であつて、それは原告の生命にとつて重大な影響を及ぼすものであるから、本件処分の違法を生ぜしめることになる。

(イ) 本件令書の執行方法欄には送還方法として唯「強制送還」とのみ記載され、具体的な送還方法の記載がないが、これのみでは全く意味をなさない。

(ロ) 本件令書の送還先欄には、「令第五三条の規定に基づく送還先」とのみ記載されているが、送還先欄を法務省令で設けた理由は、令第五三条の法文のみでは送還先が多数あつて特定しないためである。原告の国籍地中国の本土は中共政権の支配下にあり、そこえ強制送還することは不可能であるが、被告は原告に対し、たびたび台湾に還ることを奨めているところをみると、被告の意図しているところは、令第五三条第二項第六号に該当する国と云うべきであるから、本件令書に単に「令第五三条の規定に基づく送還先」とのみ記載するだけでは不特定である。

第三、被告の答弁

請求原因第一項並びに本件令書の記載中、執行方法欄に「強制送還」、送還先欄に、「令第五三条の規定に基づく送還先」と記載されている事実は認樽るが、原告の身上に関する主張事実は知らない。被告の本件処分は、次の理由により適法なものであると主張した。

一、実体上の理由

法務大臣の異議申立に対する裁決、及び被告の本件処分は覊束行為であつて、法務大臣並びに被告が自由に裁量する余地はないものである。

即ち、令第二四条は「左の各号の一に該当する外国人については第五章に規定する手続による本邦からの退去を強制することができる。」と規定しているが、これは退去強制処分を行う行政庁の権能を規定したにとどまり、当該行政庁に処分を行うについての裁量の権限を与えているものではない。このことは退去強制処分に関して定められた他の規定からあきらかなことであつて、入国警備官は令第二四条各号の一に該当する疑のある者があれば、その者を収容して当該違反事実につき調査をなした上、これを入国審査官に引渡さなければならないものであり、入国審査官は右引渡した受けた事件につき容疑者が令第二四条各号のいづれに該当するか、否か、を審査し、認定することを要し、容疑者が右認定を不服とする限り、特別審理官は口答審理を開いてその認定が誤りがないか、どうかを判定しなければならず、更に容疑者が右判定に対し、異議申立をなす場合は、法務大臣はその理由があるか、否か、を審理し、裁決することを要するものとされているのであつて、しかして右認定、判定、又は裁決が確定した場合は、主任審査官は速かに退去強制令書を発布しなければならない義務を課せられている。このように入国審査官の認定、特別審査官の判定及び法務大臣の裁決はいづれも容疑者が令第二四条各号の一に該当するものであるか、否か、の点のみを審査し、決定するよう義務づけられているものであつて、令第二四条各号の一に該当する者につき事案の軽重その他の事情を考慮する余地は全くなく、しかも主任審査官の退去強制令書発布処分は右の認定、判定、裁決の確定次第、必らず発布しなければならぬものであるから、本件においても原告の事情を汲むことは出来ないものである。

又、原告は令第四九条第一項の異議申立につき規則第三五条第四号において「退去強制が甚だしく不当であること」を理由とする申立の場合は、これを示す資料を添付しなければならないと規定しているから法務大臣の裁決は法規裁量であると主張するが、規則第三五条第四号は令第四九条に対応する手続規定ではなく、令第五〇条に対応する手続規定である。しかして、この令第五〇条は法務大臣に限り、異議申立が理由のない場合でも、容疑者が令第五〇条第一項各号の一に該当するもので、諸般の事情を考慮し、特にその者の在留を許可することが相当である、と認めたときは、異議申立の裁決にあたりこれとは別にその者の在留を特別に許可し得ることになつているが、この在留特別許可を与えないことにより違法の問題を生ずる余地はない。即ち、外国人の入国を拒否し、不法入国者を国外に退去せしめる等の所謂出入国の管理を行うのは、国家固有の権利であつて、全く国家が恩恵的な立場からこの許可を与えるのであつて、その容疑者は国に対し自己を在留せしむべきことを要求一する権利はない。従つて在留特別許可を法務大臣が与えないとしても、それは何等容疑者の法律上の地位を害することにはらず、仮りにかゝる許可を得るかも知れぬと言う期待が法律上の地位にあたるとしても、許可を与えると否とは、法務大臣の全く自由に裁量し得るところのもので、その裁量権の範囲は無制限なものと解すべきであるから、いづれにしても違法の問題を生じる余地はない。

二、形式上の理由

原告は、退去強制令書の記載中、執行方法欄に「強制送還」送還先欄に「令第五三条の規定に基づく送還先」とのみあるは、法定記載事項を欠々したものであり、又それは原告の生命にも重大な影響を及ぼすものであるから違法であると主張するが、令書の記載如何が原告の生命に影響を及ぼすとは考えられないのみならず、令第五一条において退去強制令書の記載事項につき「退去強制を受ける者の氏名、年令及び国籍退去強制の理由、発布年月日その他法務省令で定める事項」と規定しているところ、規則(法務省令)は第三八条において退去強制令の様式を別表により定めるとし、同別表には執行方法及び送還先の記載欄を設けているが、これは単に様式を掲げたに過ぎず、退去強制令書の法定記載事項を定めた規定であるとは解せられない。従つてその記載の如何が該令書の効力に影響するものではない。又仮りにそれが法定記載事項を定めたものであるとしても同条は訓示的規定に過ぎず、退去強制令書の必要的記載事項を定めたものであると解すべきでない。即ち、規則(法務省令)第三八条において定められた様式に執行方法及び送還先の記載欄が設けられているのは、執行方法において令第五二条第三項但書の送還を行う場合、又は何等かの事情で送還船舶が予め判明している場合に、送還先については令第五三条第一項に規定する国へ送還することが不能であり、且つ同条第二項に列挙された送還先のいずれに送還するかが、あらかじめ特定している場合に限り、それぞれその旨を記載するためであつて、ひつきよう執行官の便を計るためのものに過ぎない。特に送還先に関しては令書の他の法定記載要件として容疑者の国籍を記載することが要求されているから、容疑者の本国は判明しており、たとえ送還先の記載がなくとも令第五三条第一項によりその本国によることが明らかであるから、この欄は本来記載を要しない事項である。

従つて本件令書の執行方法及び送還先の各欄の記載は適法違法の価値判断の対象となるものではないのみならず、本件においては、かゝる記載方法以外に記載の方法は存在しないから正しい記載と言うべきである。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、被告が原告に対し本件強制退去処分をなすに至るまでの手続の経過及び本件令書の執行方法欄に「強制送還」と、又送還先欄に「令第五十三条の規定に基く送還先」と記載されていることについては当事者間に争がない。

二、そこで被告の本件処分が適法か否かを順次検討する。

1  実体上の点について

被告の本件処分及びその前提となつた法務大臣の裁決についてそれぞれ原告主張の事情を考慮し、その主張を採り入れなかつたとしても違法ではない、その理由は、被告の法律上の見解と同様に考える。

仮に法務大臣の在留許可を法規裁量処分と解しても、原告主張の事情をもつてしてはいまだもつて強制処分が甚しく不当な場合に該当しない。従つて原告が右の点を非難するのは当らない。

2  形式上の点について

被告は強制令書の記載事項につき令第五十一条に規定した事項を欠いた場合のみ令書に瑕疵があり、同条が法務省令(規則)に委ねた事項はたとえその記載を欠いても(又はその記載に不備があつても)令書の効力に影響はないと主張するけれども令の直接規定と、令の委任に基く規則との間にそれ程の本質的差異を見出すことはできない。

しかして、強制送還は特定の者を一定の事由で国外(特定の外国)へ送還するものであるから、令書はそのことを明瞭にすべきものであり、その記載も右の目的を勘案して評価されなければならないと考える。例えば令に記載を要する事項として掲げている送還者の年令又は国籍の記載を欠いてもその送還者を特定できる限り令書の効力に影響はなく、これに反し、令が規則に委任した事項でもその記載を欠くため前記の目的を達するに支障を生ずるような場合はその令書は蝦疵あるものと認めないわけにはゆくまい。

右の見地から「送還方法」の記載を考えて見ると、被告の主張するように執行官の執行を便ならしめるための訓示規定と解するを相当とし、被告が右記載欄に単に強制送還と記載しているのは妥当ではないが(規則が「強制送還」と当然のことを記載することを要求しているとは認められない)令書の効力に影響を及ぼさないと解する。

これに反し、送還先は、被送還者にとつて極めて重要なことであり、特に執行官は右令書に記載してある送還先へ送還しなければならない義務があり、その記載を欠いたり、その記載に不備があつてはその義務を遂行することができないと言わなければならない。

そこで、本件について見るに、本件令書には、その送還先として「令第五十三条の規定に基く送還先」と記載されて居り、この記載自体では、送還先が特定しているとは云えないけれども、令五十三条第一項では先づ国籍の属する国に送還することを規定し、それが不可能な場合第二項によるべきことを定めているのであるから、本件令書を執行する執行官としては、第一項の送還先(本件令書には原告の国籍は中国と記載されているから令書自体で第一次送還先は中国と認めることができる)へ送還すべきであつて、令書発行当時中国へ送還することが不可能なような事情を認められないので、令五十三条第二項を適用すべき余地は生じないと言うべく原告の送還先は中国に特定していると解することができる。従つて、右令書の記載は妥当とは言えないまでも令書の他の記載と相俣つて送還先が特定されていると認むべきであるから、本件行政処分は原告主張のような取消すべき違法があると断ずることはできない。

三、よつて、原告の請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用は敗訴の原告に負担させ、主文のとおり判決する。

(裁判官 地京武人)

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